Presented by B.B.C./Biwako Bass Communications

Editorial
Vol.2(02/09/19)

状況がまったく正しく把握できていない

 なにやら、さっそく第1回からずいぶん盛り上がっていただいたようで、まずはお礼申しあげる。Editorial Vol.2は昨日の日朝首脳会談の話の続きから。

 昨日のテレビのニュースで、拉致された人達の家族が安否調査の結果を知らされて、それに対する感想を述べているシーンが何回も映っていた。その場面を見て感じたのだが、男性よりも女性の方がしっかりしていて、言うべきことをきちんと言っていたではないか。これってどういうことかと考えてみた。その結論は、つらいことや悲しいことに対する心の準備が、女性の方がちゃんとできていたのではないかということだ。

 ただし、これは著者がテレビニュースを見て勝手に感じたり考えたりしたことである。画面に映ってた人達がそうであると言うつもりはまったくないから、くれぐれも誤解なきように。あくまでも、こういうことを考えたという範囲内の話であることをご理解の上で読み進めていただきたい。

 同じようにつらいことや悲しいことに直面するといっても、その内容は様々に分かれる。男性なら働いてる店や会社の状態が思わしくないとか、取引先との商談がうまく進まないとか、人間関係がうまくいってないとか、そういう自分の責任と努力でなんとか解決できる可能性が少しでもあって、それが思い通りにいかないからつらいとか、ダメになったから悲しいことになってしまったというケースが多いのではないか。

 対する女性は、同じつらいことや悲惨なことでも、自分の力ではどうにもならないことが多いのではなかろうか。ありそうな例を一つあげるなら、夫の会社からの帰りが遅くて、そのために家庭が乱れているというケース。それを解決するのは奥さんよりも夫の責任で、奥さんが取れる手段はそう多くはないはずだ。テレビに映っていた人達の年齢なら、もっとつらいことや悲しいことがたくさんあったとしてもおかしくはない。そういう経験を重ねてきて、いざ拉致された家族が生きてた、死んでたとなったときに、女性の心の強さが際立ったのではないかと思ったのだ。

 それともう一つ、これはメディアも含めての話なのだが、拉致された人達全員の無事と帰還にとても強くこだわっていたのが気になった。もちろん、それがかなうに越したことはない。しかしながら現実は、他国で平和に暮らしている一般市民を拉致して連れ去るという暴虐非道なことをする人達(そのようなことを実行した人達あるいは組織。ここで国や国家という言葉を使うべきではないと思う)が相手である。拉致された人達の一部でも亡くなっていたときに備えるのは当然だと思うのだが、そういう準備はしていなかったのだろうか。もっと不思議に思うのは、安否情報の公開を求めたら、よくない答えが返ってくる可能性も当然ある。その覚悟はしていなかったのかということだ。

 これにはミスリードが働いているのではないかと思う。例えば家族の所へ取材に行った様々なメディアのスタッフが、「大丈夫。きっと無事ですよ」みたいなことを別れ際に安易に言って帰る。「希望を失ったらダメですよ」みたいなことを言う人もいる。「亡くなってる可能性がある」というようなことは言う方もつらいから誰も言わない。しまいには決して口にしてはいけないタブーになってしまう。よい情報はすぐに伝わるが、よくない情報はなかなか伝わらない。その結果、きっと生きてるという信念が、絶対に生きてるという過信にかわる。もちろん信じることは必要だが、一方で状況を正しく把握していないと、予想してない事態に追い込まれてパニックになる。つまり、ミスリードが悲しみを増幅させる結果になるわけで、これって状況を正しく把握できてない典型的なケースではないか。もちろん、これも筆者がそう思ったというだけで、事実確認などはしていないから、その点、誤解のなきように。

 上の内容の中で、バスアングラーの皆さんに注意しながら読んでいただきたいのは、「よい情報はすぐに伝わるが、よくない情報はなかなか伝わらない」というところだ。これを具体的に言いかえるなら、受け手が喜びそうな情報はすぐに伝わるが、受け手に喜ばれない情報はなかなか伝わらない。そういうことが長く続くと、最後には自分達が置かれた状況がまったく見えなくなってしまう。情報とは、そういう性質を持ったものなのである。これって自分達の身のまわりにもあるのではないだろうか。それを防ぐには、メディアリテラシーについて勉強するしかないのだが、日本ではこれがまったく普及していないのである。メディアリテラシーについては、いずれ機会があれば書きたいと思っている。

 さて、Editorial Vol.1の内容については多くのご指摘をいただいた。指摘の多くは以下の部分に集中していた。

以下Vol.1からの引用------------------------------------------------

 でなかったら、今になって次のような発言が出てくるわけがない。琵琶湖のバスアングラーのマナーの悪さは日本一だと前から思っていた……これって街頭インタビューの『まさか亡くなってるとは……』というのと同レベル。分別ある大人がしっかり考えれば、今さら恥ずかしくて口にできない言葉ではないか。

引用終わり-------------------------------------------------------

 指摘の主な論旨は次のようなことである。「琵琶湖のバスアングラーのマナーの悪さは……」の部分について
1>話の内容が正しくない。間違ってる
2>発言者の言おうとしていることが正しく伝わっていない
3>発言の一部を引用して曲解して伝えている
4>今はこんな論争をアングラー同士がしているときではない

 1〜3については、やっぱりきたかと思った。筆者の仕掛けに見事に引っ掛かったとしか言いようがない。こういうことを誰かがどこかに書いたとか、どこかで言ったということはVol.1の文章にはまったく書いてない。ただ、「次のような発言が出てくるわけがない」と書いただけである。それに対して1〜3のような指摘があった。誰かの話を引用してるのであれば1〜3のような指摘の対象になるかもしれないが、その場合は文章のプロなら、いつ、どこで、誰が、ということを必ず書く。それをしていないということは、単なる例として持ち出しただけであるから、1>正しいも間違ってるもないし、2>正しく伝える必要もないし、3>曲解するもしないもない。4については、こういうときだからこそ次元の低い自己弁護的な発言は困るから、あえて例にあげさせていただいたと言っておこう。

 どうやら一部の人達は、上に引用した文章を読んで、反射的にカーッと頭に血が上ってしまったようだ。だから、その後は支離滅裂で、議論にも何もなっていない。そういう人達の反応が強ければ強いほど、たくさんあればあるほど、この文章が効果的だったということを証明していただいてるようなもので、まことに喜ばしい限りである。相手を攻撃してるつもりが、実は相手を喜ばせてるだけだということに、いいかげん気が付いた方がいいのではないかと老婆心ながら忠告しておきたい。それと、文章はくれぐれも正しく読んでいただくようにお願い申しあげる。

 つまり、これも自分が置かれてる状況を正しく把握できてない典型的なケースだと言ってよいであろう。ここまできて、やっと最初の日朝首脳会談の話と結び付いた。長い道のりを最後までお付き合いいただいた皆さんには、つつしんでお礼申しあげたい。

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