Presented by B.B.C./Biwako Bass Communications

Editorial
Vol.63(07/05/03)

憲法9条とリリース禁止条例

 道を走る車の多くが制限速度を10kmぐらいオーバーしてるのがあたりまえ。警察車両だって制限速度を守らず平気な顔してる。大きな会社が経営破綻したら、経営陣が不法行為で捕まるのもあたりまえ。高級官僚の天下りが談合の温床になってることなんてわかり切ってるのに、それを制限する法律は骨抜きになりそう。特待生制度が学生野球憲章に違反してるからと名乗り出させたら、出てくるわ出てくるわで300校以上。それを知らなかったような顔して記者会見してる高野連会長に対して、「あんたも知ってたんだろう。それを今さら何を抜け抜けと」と突っ込むメディアもない。

 要するに、この国において憲法や法律を含む決まり事は厳密に守るべきものではなく、どれぐらい違反しても大丈夫かと様子を見ながら行動するための判断基準に過ぎないのである。そのことは、琵琶湖でバスを釣ってるアングラーならよくわかってるよね。

 憲法9条は、そのまさに象徴。日本は憲法9条があるにもかかわらず世界有数の軍事力を保有してる。そんな国で憲法を実状に合わせようなんて議論はまったく無意味だ。戦争を放棄した憲法が改正されたら、軍備は拡張され、行動範囲も派遣勢力も拡大されて、最後は戦争をするに決まってる。その戦争とは、現自衛軍に対して国民がイメージするような防衛戦ではない。わかりやすい一例を上げれば、アメリカ軍に協力して派遣された軍隊が他国で戦うのではなかろうか。その結果、国内でテロが起こることもあり得るだろう。

 現政権と与党、野党の一部勢力は「憲法を改正しても日本が戦争なんかするわけがない」と言うが、これはまったく信じられない。嘘つきの政治家達がそう言うからこそ、かえって戦争は起こると判断すべきだ。あるいは彼らは本当に戦争をするつもりがないとしても(筆者にはとてもそうは思えない。これこそ何を抜け抜けと知らんふりしてと言うべき類のことである)、官僚や有力企業、経済人との力関係から考えて、国民が望む方向へコントロールができるとはとても思えない。過去から現在に至るまでまったくできてなかったことが、この先できると言うこと自体が絵空事なのである。

 憲法9条を改正するなら、その前に日米安保条約をどうするかという議論が不可欠。その前提として、日米が対等の立場でなければならない。現在の世界に置ける日本のポジション、アメリカとの関係、近隣諸国との関係、国内情勢、そして世界がどういう方向へ向かっているかを考えたとき、日本の軍事力は現状を維持するのが戦争を避けるためには適当。現在、憲法9条はそのためのしばりとして機能している。つまり、法律がしばるのではなく、しばるために法律を利用してると考えれば、これを性急に改正した結果は陽を見るより明らか。まず手始めに、何の考えも議論もなくアメリカの言うままに派遣軍を出したり、1機250億円もするF22ステルス戦闘機を防衛のためという口実で買い込むだろうね。そんなことが本当に防衛のために必要か、本当はそれで何をしたいのかは、数年も待てば結果が出るはず。そのときになって「しまった。だまされた」と気付いても手遅れだ。

 バスアングラーや釣り業界の意見を無視して導入された琵琶湖のリリース禁止条例は、結果的に「外来魚ゼロに向けたシンボル(Chunichi Web Press06年5月18日付記事)」として施行、運用されることになった。それとは逆の意味合いで、憲法9条は日本が戦争をしないための楯として、まだ当分の間は維持すべきだ。ここで言う「シンボル」が非常に重い意味を持っていることは、琵琶湖のバスアングラーならわかるはず。

 以上のことから、筆者は憲法9条を今すぐ性急に改正することには反対である。こういうことは総理大臣が功を焦るのではなく、いずれ適当なタイミングが来たときにやるべきだと思うんだよね。今はそのタイミングとしては適当ではない。むしろ最悪かもしれない。なのに無理してでもやろうとするのは、今が最後のチャンスで、次の国政選挙が終わったら当分チャンスは巡ってこないと思ってるからじゃないのかなあ。

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