Presented by B.B.C./Biwako Bass Communications

Editorial
Vol.71(07/11/16)

国家元首かくあるべし

全国豊かな海づくり大会関連記事
ブルーギル「私が持ち帰った」天皇陛下がお言葉(Chunichi Web07/11/12)
「ブルーギル繁殖、心痛む」陛下、胸中明かす(京都新聞電子版07/11/12)
ブルーギルの大繁殖「心痛む」天皇陛下(Yomiuri On Line関西発07/11/12)
天皇陛下:自分が持ち帰った外来魚に「心を痛めています」(毎日.jp07/11/12)
「琵琶湖のブルーギル繁殖心痛む」陛下ごあいさつ(asahi.com07/11/12)
陛下「外来魚繁殖心痛む」琵琶湖畔で異例のお言葉(Chunichi Web07/11/11)

 帝、先の近江御幸に際して、かく宣へり。

 「ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰り水産庁の研究所に寄贈したものであり、当初、食用魚としての期待が大きく養殖が開始されましたが、今このような結果になったことに心を痛めています」(asahi.com07/11/12掲載記事から一部引用。以下同)

 11月11日に滋賀県大津市の県立琵琶湖ホールで開催された第27回全国豊かな海づくり大会の式典で、天皇陛下がブルーギルについて述べられたことを伝えたasahi.comの記事である。ただし、この件に関しては共同通信の配信を受けてネット各紙がアップした記事の方が早かった。

 「天皇陛下は琵琶湖で問題となっている有害外来魚の繁殖に触れ『ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈したもの』とし『食用魚として期待が大きく養殖が開始されましたが、今このような結果になったことに心を痛めています』と異例の言葉を述べた」(Chunichi Web07/11/11)※注 Chunichi Webの記事はすでに削除されている。共同通信配信の同じ記事を他紙のネット版(東奥日報ネット版07/11/11など)で参照可能。

 この記事がアップされたのは11日夜から12日朝にかけて。それ以前のasahi.comの記事は次のように伝えていて、ブルーギルについて具体的な発言があったことには触れていなかった。

 「天皇陛下は式典のあいさつで、外来魚などの異常繁殖で琵琶湖の漁獲高が激減していることにふれ、『永(なが)い時を経て琵琶湖に適応して生息している生物は、皆かけがえのない存在です。かつて琵琶湖にいたニッポンバラタナゴが絶滅してしまったようなことが二度と起こらないように、琵琶湖の生物を注意深く見守っていくことが大切と思います』と話した」(asahi.com07/11/11)

 伏せていたことが共同通信の配信記事で出てしまったから、仕方なく後追いで記事にしたのかどうかはわからない。11日の記事は第一報で、12日の昼頃ネット版にアップされた記事はこの日の本紙のために書かれたものだという、単なるタイミングの問題の可能性もある。それよりも興味深いのは、陛下のお言葉があったことを受けて各紙が今まで記事にしていなかったことを続々と書き始めたことだ。ちょっと長くなるが、ネット各紙の記事から引用する。

 「滋賀県によると、琵琶湖には1960年代にブルーギルが侵入し、90年代に爆発的に増加。モロコなど在来魚の漁獲量激減の原因となった。釣った魚の回収ボックスを設置したり、持ち帰りを奨励するなどの対策を県が講じ、外来魚は減少傾向にあるという」(Chunichi Web07/11/11)

 「宮内庁によると、天皇陛下は皇太子時代の1960年にアメリカを訪問した際、シカゴ市長からブルーギルを寄贈され、食用や釣りの対象になればと水産庁の研究所に寄贈した。滋賀県によると、1963年、国から琵琶湖の県水産試験場にブルーギルが分与された。逃げないように注意して飼育していたが、なんらかの経緯で、60年代末までにブルーギルが一般水域で確認されるようになったという」(asahi.com07/11/12)

 「ブルーギルは、天皇陛下が皇太子時代の1960年に訪米された際、シカゴ市長から贈られた個体が、水産庁の研究所を通じて滋賀県など各地へ分与されたとされる。ただ、琵琶湖に入り込んだ経緯は定かではない」(京都新聞電子版07/11/12)

 「宮内庁や滋賀県によると、陛下は皇太子時代の1960年に訪米した際、シカゴ市長からブルーギルを贈られ、釣りや食用になればと魚を持ち帰って水産庁に寄贈、それが滋賀県水産試験場に分与された。(改行)試験場は琵琶湖で網を二重にして試験的に飼育したが、何らかの経緯で60年代には琵琶湖で生息が確認されたという。大繁殖の結果、近年はニゴロブナなど固有種の漁獲量が激減した」(Yomiuri On Line関西発07/11/12)

 「宮内庁や滋賀県によると、陛下は1960年に米国シカゴ市を訪れた際、市長からブルーギルの寄贈を受け、水産庁の研究所に渡した。県水産試験場は63年から64年にかけ、水産庁の研究所からブルーギルを分与されて飼育。72年まで研究対象にしていた。(改行)77年発行の季刊誌『淡水魚』では、ブルーギルが滋賀県の養殖池から逃げ出し、琵琶湖に見られるようになったとの話が紹介されている。当時、陛下から話を聞いた筆者は『殿下(当時)は残念に思われている御様子だった』と記しており、陛下は30年前から心配していたとみられる。(改行)県漁連のパンフレットによると、琵琶湖では1990年にブルーギルが急増し、93年に大繁殖。一方で、固有種ホンモロコの漁獲量は90年代後半から激減した」(Chunichi Web07/11/12)

 こういう事実が出てきたからといって、今さら陛下の皇太子時代の行為についてどうこう言う必要ははまったくない。そのことは明記しておきたいと思う。当時はそれがあたりまえの世間の常識だったのである。その点については、ネット各紙が伝えた嘉田由紀子滋賀県知事の言葉が言い尽くしている。asahi.comの記述が一番当を得ていると思うので、その部分を引用しておこう。

 「大会実行委員長の嘉田由紀子滋賀県知事は、天皇陛下の発言について『当時は食糧難でたんぱく質を増やそうという時代で、その後、生物の多様性の重要さが指摘されるようになったのに、科学者として勇気ある発言をしてくださった。お気持ちを真摯に受け止め、琵琶湖の再生に向けて働きたい』と話した」(asahi.com07/11/12)

 これは知事の科学者としての立場から出てきた言葉だと思う。陛下のお言葉の真意をよく汲んでいて、立派な発言だ。ところが、その知事が政治家の立場になると、次のようなことを言う。両方の発言から政治家と科学者の二重性が見えて、この知事の本質を探る上でとても面白いできごとである。

 「嘉田由紀子知事は11日の記者会見で、ブルーギルについて『(試験場では)二重の網をしていたので、逃げ出したとは考えられない。増えたのが平成に入ってからという時間のズレもある』などと、急増した原因は不明とした」(毎日jp07/11/12)

 かように陛下のお言葉一つで政治家やメディアが右往左往するところに、この問題の複雑さがよく表れている。であるからこそ、琵琶湖の畔で述べられた陛下のお言葉の本当の意味がますます際立つのである。国家元首かくあるべし。政治家や科学者やメディア人とは人間としての格が違うと、そう思った人も少なくないのではなかろうか。あるいはそれが、何らかの外力が働いた結果であるとしても、バスアングラーにとっては、日本一のバスレイク琵琶湖に陛下をお迎えしただけのことはあったと、そう評価してよいだろう。

 ところが残念なことに、テレビを初めとする多くのメディアは、陛下のお言葉を伝えるときにブルーギルとバスを一緒くたにしていることが多かった。asahi.comの11月11日付記事がその好例である。共同通信の配信記事の見出しは「陛下『外来魚繁殖心痛む』琵琶湖畔で異例のお言葉」となっていた。一般の人がこの見出しだけを見たら、「またブラックバスが……」と思うのが普通だろう。そう思わせるようなことを今までやり続けてきたのは、これらメディア自身だからね。これでは陛下のお言葉の真意はまったく伝わらないじゃないか!!

 この記事にかわら版のトップページからリンクを張ったときには、リンクの見出しを「陛下『ブルーギル繁殖心痛む』異例のお言葉」としたが、当ページでは記事本来の見出しに戻している。見出しとは、それぐらい気を使って扱うべきものである。

 新聞でもテレビでもネット上でも似たような例は多く見られたが、陛下がお心を痛められたのはブルーギルについてであって、バスについてではない。それを一緒くたにしたのは何らかの作為があってのことかどうかはわからないが、一部意図的なものを感じる。これもまた、この問題に関するメディアの現状がよく現れたできごとであったと言うべきであろう。

 陛下のお言葉にバスアングラーが注目したことなんて、これが初めてではなかろうか。バスアングラーだけでなく、ほかにも注目した人がたくさんいたのかもしれない。例えば16日に出た次の記事。

 「加賀市の農業用ため池であった外来魚の駆除を取材して、その繁殖力にびっくりした。バス類やブルーギルが知られているが、圧倒的な数を誇ったのは後者。池の水を抜く際に排水口に仕掛けた網には無数のブルーギルの稚魚がはち切れんばかりに入っていた。(改行)『外来魚対策のメーンはブルーギルなんです』と駆除の指導にあたった鴨池観察館のレンジャー松本潤慶さんは言う」(Chunichi Web北陸中日新聞07/11/16)

 こんな記事、今までなかったよね。わかってても記事にできなかったのが、できるようになったのだとしたら、それは陛下おんみずからパンドラの箱を開けていただいた結果だというのは考え過ぎだろうか。

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