Presented by B.B.C./Biwako Bass Communications

Editorial
Vol.77(08/01/22)

かわる価値観、かわらない制度

 アップルコンピュータの一大祭典であるマックワールドエキスポ2008が1月15日から18日までアメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコのモスコーニコンベンションセンターで開催された。そこでアップルが発表したA4封筒に入る薄型ラップトップコンピュータのニューモデルMac Book Airについては、すでにテレビや新聞、ネットメディアが伝えたのでご存じの方が多いはず。マックワールドエキスポは正式にはMacworld Conference & Expoと言って、トレードショーだけでなく開発者向けのセッションも数多く開催され、ユーザーからメディア、開発者、取引業者までMacやi-Podを取り巻く人達すべてが注目するお祭りになっている。

 7年も使ってるPower Book G4にだいぶガタが出始めて、20GBの内蔵ハードディスクはいっぱいになりかけ、Flashムービーを編集するどころか再生するだけでも四苦八苦してのに、お金がなくて買いかえられない著者としては、「まっくぶっくえあ、ええなあ……!!」と指をくわえて見てるしかないが、今回の話題はそのことではない。マックワールドエキスポ2008メイン会場のアップルブースの隣に設営されたマイクロソフトブースに、ブロガー専用のラウンジが設けられたのだ。

 これはブロガーなら誰でも利用者リストに名前とブログのURLを書き込むだけで自由に使うことができるスペースで、プレスルームよりも立派な設備が整っている。高速回線でネット接続されたコンピュータも用意されていて、ここから自分のブログに情報発信したブロガーも多いはず。マイクロソフトにとっては情報発信と同時に自社の情報に積極的にコミットしているブロガーとブログのリストを手に入れられるというメリットがあるが、世界をかえる力があると言われるほどのガリバー企業がブロガーの活動をこれほど評価してることは注目に値すると思う。

 コンピュータソフト、特にOSや統合型ビジネスソフトの開発は、かかる費用、労力ともに半端ではない。開発期間も長くて、早くから次期バージョンに搭載される新機能や改良項目のアナウンスが始まる。ということは、発売までの長期に渡って話題をつないで開発者や消費者の注目をそらせないための努力が必要になるわけだ。そのためにはテレビや新聞など既存メディアだけでなくネットの情報サイトとのタイアップも重要だが、その分野に強い個人サイトやブログが今や無視できない存在になっている。マイクロソフトほどの企業がブロガーラウンジを設けたという事実が、そのことを端的に現している。

 わかりやすい例を上げよう。某メーカーがフィッシングショーとその直前発売の雑誌で発表する予定だった新製品情報を誰かがリークしてしまったとする。ネットがなければ「そんなの無視しておけばいいじゃん!!」ですむはずのものが、今やそんなわけにはいかない。期待値の高い製品であればあるほど、いったんネットに情報が出たら拡がるのはあっという間。そうなると当然のことで、メーカーとそのスタッフには遠く、近く、いろんな立場のいろんな人から「あれはどうなってるの!?」「内緒のはずとちゃうのん!?」という問い合わせが押し寄せる。

 「これはへたしたらコントロール不能になるぞ!!」
 「だったら今すぐ発表しちゃえ」
 「だけど、こんな話を公式サイトに載っけるわけにはいかないよね」
 「上に相談できる話でもないし、困ったねえ」
 「だったらちょうどいいサイトがあるよ」
 「ああ、あれね」
 「うん、あそこにやらせてみようか」
 「それ、いいねえ」
 「そうだ、そうだ、そうしよう」

 なんて会話があるかどうかは知らないが、こういうときに頓服薬的な働きをするのが有力個人サイトとブログなわけだ。そのためにはメーカーのスタッフが個人サイトやブログの情報発信者と普段から信頼関係を築いておかないといけない。下の者がそういうことをしようと思ったら、上の者は部下の仕事ぶりにきめ細かく目を配りながら、必要な情報はきっちり押さえつつ、呑み込むべきところは「まあ、うまくやっとるわい」と知らないふりして呑み込めるだけの度量を要求される。※注 この話、実在の人物、団体等とは関係ないので、そこのところ誤解のないように)

 まあこのように、情報流通の激変にともない世の中の価値観がものすごい勢いでどんどんかわっていくから、下の者も上の者もたいへん。例えば食品偽装に続いて出てきた再生紙偽装なんてのは、古紙の使用割合が製品表示より少なかったわけだから、表示より品質のよい紙を売ったがために怒られて会社の偉い人が平謝りさせられてることになる。グリーン購入なんてのが出てくる前なら、「古紙の使用割合が少ないのは表示よりいい材料使ってるんだからぜんぜんオーケーじゃん!!」という話で、つまり会社として過去の価値観から抜け出せてなかったから起こった問題ではなかろうか。

 価値観の急変に対するネットの影響について、昨年末の初音ミク(Editorial Vol.75)に続いて、ファンサブの話をご紹介しよう。ファンサブのファンは阪神ファン、ガンダムファンのファンと同じ。サブはサブタイトルのサブ。サブタイトルは映画の字幕のこと。この二つをくっ付けたファンサブとは、外国アニメにファンが勝手に字幕を付ける行為やその作品、それを主とするサイトや流通などのこと。主に日本アニメに外国のファンが自国語の字幕を付けた海賊版のことで、これはこれでパソコン通信時代からの古い歴史があり、日本アニメの普及に貢献したことは事実。マイナーなアニメがファンサブにより注目を集め、商業的に成功した例も少なくない。

 著者が属するガンダム以前世代にはちょっと付いて行けない涼宮ハルヒの憂鬱という人気アニメがある。「タイトルぐらいは聞いたことあるけど内容までは詳しく知らない。ケロロなら知ってるけどね」と言う人も多いと思うが、その涼宮ハルヒが外国で公式リリース以前からファンサブで人気になっている。宮崎駿夫作品ならいざ知らず、原作コミックがどの本に載ってるのかも知らない涼宮ハルヒがである。外国でアニメをプロモーションしようと思ったら、メジャーな流通チャンネルと組んで大々的やらないといけないから、莫大な費用がかかるはず。それがファンサブが出たことで話題になってしまうのだから、たかが個人制作の海賊版とバカにできない。

 ファンサブのそんな影響力を知ってるから、アニメを制作する側もちょっとぐらいは大目に見つつ利用してきた部分がある。マイナーな作品ほどネットにおける個人や小グループによる活動の影響力は大きく、他のメディアでは補完不可能。それを全部つぶしてしまったら、マイナーアニメを海外デビューさせるワープ航路も失われてしまうから、海賊版は海賊版として圧力をかけつつ、利用できるところは利用する関係が、かなりの部分かごく一部か知らないがあったわけだ。「プロモーションはお金をかけてやるから、そんなものうちの会社にとって何の利点もない。弁護士に言ってつぶしてしまえ」と切って捨てることができる大手には百害あって一利なしかもしれないが、ファンサバーにはファンサバーの言い分があるはず。海賊版にだって、キャプテン・ジャック・スパローにだって、テロリストににだって、それなりの言い分があるのと同じである。

 ここにはマイナーとメジャーの関係がある。大手映画会社やアニメ製作会社がメジャーなら、小さなアニメ製作会社や個人作家はマイナー。それがファンサバーに対しては、アニメを製作してる側はたとえ小さくても個人でもメジャーの立場に逆転する。つぶしてしまうか、圧力をかけつつ利用するか、一緒になって面白おかしくやるかは、それぞれの力関係による。ネットはそのバランスをドラスティックにかえ、マイナーとメジャーの距離を縮め、上を下に引き下げ、下を上に引き上げる働きをしている。その変化が急激に起こり、一瞬にして上と下が同列になったり、入れかわったりすることがままあるから油断ならない。それがネット社会というものなら、価値観の急変は当然の現象。かわらない方がおかしいと覚悟するべきではないか。

 価値観がこのように急激にかわりつつあるのに対して、いったん固まった制度というものは簡単にはかわらない。そこに現在の軋みがある。自分達にとって都合の悪い情報を隠しておける時代ではないにもかかわらず、旧来の制度を守るために汲々としたあげく、最後にはつじつまを合わせることができなくなって足元をすくわれる例のなんと多いことか。具体的には食品、再生紙偽装やNHKインサイダー取引、広くは政治家、官僚、メディア、企業などの犯罪的、反社会的行為の多くはこの価値観と制度のズレから発生し、成長し、隠し切れず表沙汰になってるのではなかろうか。事例としての現れ方は各個に様々だが、これらは総体的な現象として旧制度が崩れる兆候なのかもしれない。

 もちろん中にはかえない方がよい制度もあって、例えば船の運航は船長が全責任を負い、船長の判断で行うことになっている。これが民主主義になれば、船を動かすのに何もかも乗船者全員で相談して、意見が一致しないときは多数決で決めないと右へ行くことも左へ行くことも、ぶつかりそうで危ないから減速することもできない。おまけに誰も何の責任も負わない官僚主義みたいなことになれば、これはもう事故、遭難多発だろうね。あるいは、官僚主義なら船は港の岸壁に係留したままで、いつまでたっても動きだそうとしないから、かえって事故は減るか!?

 それとは逆に、問題山積みでかえないといけないことは明白、そのことを官僚も大勢の市民も認識しているのに、頑としてかわろうとしない制度もある。漁業調整規則と漁場管理委員会なんてのは、その最たる例。水産庁長官から見なおし指示が出てるトローリング解禁がなかなか進まないのは、非民主的な漁業調整委員会という制度そのものに重大欠陥があるからだが、それがなんとも動かし難い制度として現存し、権力を行使し続けている。

 長野県の内水面漁場管理委員会は昨年末、県内全域でリリースを禁止する方針を決めた。外来魚小委員会では外来魚を活用している水域をリリース禁止から除外する案を支持する委員が多数を占めたにもかかわらず、12月の本委員会で会長が提案したのは県内全水域で原則的にリリースを禁止する方針であった(Yahoo! News 08/01/14)。これって、特定外来生物被害防止法でバスが指定されたときに、専門家小グループ会合の意見を環境大臣が無視したのとあまりにもそっくりなできごとではないか。

 つまり、陸の上がちょっとは民主的になった今の世にも、船長が船の指揮権を独占するがごとく、海や川、湖、池には民主主義が通じない封建時代の遺物のような世界があるということ。船長には大きな責任が伴うが、某大学名誉教授でもある委員会会長には何の責任も及ばない。バスアングラーや釣り業界、ごく一部のメディアから非難されるぐらいが関の山。保身のためなら、そんなことはめじゃないんだろうね、たぶん。

 バスアングラーはリリース禁止や外来生物法に対する取り組みの中で、これと同様の政治家や官僚、大学教授、研究者の例を多く見てきた。古いままの制度の中に巣くう彼ら、彼女らは、価値観の変貌に気付きもしないのだろうか。あるいは気付いているくせに知らないふりして旧制度にしがみ付いてるのだろうか。一方では情報がだだ漏れに出てくる時代であるだけに、旧態依然とした制度の中でひたすら漁業者や官僚のごきげん取りをする大学教授の存在には、パラレルワールドを発生させるパワーを秘めた涼宮ハルヒの憂鬱に匹敵する不気味さを感じてしまう。

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