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■04/12/24

負け犬女優としてテレビのバラエティーショーに出まくり、毒舌吐きまくりのタレント、杉田かおるの本が発売された12月22日のサンスポ.comのインタビュー記事に載ってた語録の中からピックアップ。「ブラックバスみたいな女って言われたことがある。釣るまで楽しくて、食べるとまずい」一般にこういう認識があるからバス料理が普及しないんだけど、滋賀県は抗議してみる?

■04/12/01

トンデモ本を笑って楽しんじゃおうというト学会編の「トンデモ本の世界」に続く続編が「トンデモ本の逆襲」(宝島社文庫)。続編を出せるぐらいだから、最初の本がけっこう売れて、ネタにも困らないんだろうね。「物理を知らない人が『相対性理論は間違ってる』と主張する本が、何万部も売れている。それに対し、まともな物理学者が相対性理論の正しい解説書を書いても、その五分の一も売れるか怪しい。万葉集は朝鮮語で読めるとか、日本人の先祖はユダヤ人だといった本もよく売れるが、まともな言語学や歴史学の本がそんなに売れることはない。常識的な説よりも、奇説を唱える本のほうがよく売れる傾向がある。多くの大衆は明らかにトンデモ本のほうを支持しているのだ」「トンデモは人間の『性』なのだ。人類が繁栄を続ける限り、トンデモ本は出版され続ける。決してそれからは逃れられない。我々はそれと闘うのではなく、憎むのでもなく、共存する道を歩まなければならない。(改行)すなわち、笑って楽しむのである」などと前書きからけっこう言ってくれてるんだけど、その版元がかの有名なトンデモ本「ブラックバスが○○○を食う」と同じ出版社で、同じ文庫に入ってるというトンデモな世界。すなわち、トンデモは人間の「性」なのである。だったらトンデモ番組も人間の「性」?

■04/10/30

インディー・ジョーンズ第3作の中で主役のインディーが自分の考古学教室で学生に向かって語るセリフ。「Archaeology is the serch for fact. Not truth. If it's truth you're interested in, the philosophy class is down the hall. Forget lost cities, exotic travel and digging up the world. We don't follow maps to tresure, and "X" never ever makes the spot. Seventy per cent of all archaeology is done in the libraly. Reserch, reading. We cannot afford to take myshology at face value.」が原文で、日本語字幕は「考古学が求めるものは事実だ。真理ではない。真理に興味がある者は哲学教室へ行け。失われた都市とか埋もれた宝は存在しない。地図の×印を掘って宝が出たためしはないのだ。考古学の研究の場は七割方図書館だ。文献を読み調べる。伝説をうのみにしてはいけない」、日本語版のセリフは「考古学というのは事実を探し求める学問だ。真理ではない。真理を探究したい者は、ID教授の哲学の教室へ行ってくれ」となっている。事実を探し求めるのが面倒なのか、嫌いなのか、苦手なのか、ほかに理由があるのかは知らないけど、世の中には拙速に真理に走りたがる先生方が昔から多いようで……。原作者のジョージ・ルーカスとメノ・メイジェスが、インディー・ジョーンズにそう言わせたかったのかどうかは定かではない。ところで、このシリーズ3作すべてのセカンドユニットディレクターを務めてるマイケル・ムーアって、あのマイケル・ムーアか!?

■04/10/10

50年代末に著者が中国赴任当時の話。それまであちこちの池や湖でコイ、フナ、ソウギョ、アオウオなどを釣ってたのが、人民公社が始まってからはどこもかしこも養魚場になり、釣り禁止になってしまった。「『あそこは二十斤の草魚を釣ったところなんですがねえ……』という王さんの湖水も、『あの池の南ッ側の出ッ張りは、型のそろった鮒がよく出るところだった』という金さんの秘蔵の釣り場も、みんな『禁止釣魚』である。つまり、人民公社釣り師をして骨肉の嘆に堪えざらしむ、である(原文の「骨」は骨偏に卑)」という釣り師としてはよくわかる嘆き。著者は人民公社の許可を得て、ある池へ釣りに行き、小型の草魚をたくさん釣ったが、その様子を見つめる農民の視線に無言の抗議を感じた。こういう心情も本当の釣り師ならよくわかるはず。今の日本なら「リリース禁止、バス釣り師をして骨肉の嘆に堪えざらしむ」となるところだが、数に頼んで反対するだけでなく、リリース禁止による利益や効果を確信するところまで追い込まれた人達の事情や心情も理解しないと、本当の問題解決にはつながらない。反感や憎しみは、争いを拡大するだけだ。「釣魚迷」は66年発行の岩波新書の1冊。06年生まれの著者の子供の頃からの釣りを綴った中には、奥日光のニジマス、カワマス、ブラウントラウト、クレソンなどの移入種の古い歴史や、オーストリアの川でグレーリングを釣って、この繊細可憐な釣りの対象魚をぜひ日本にもほしいと思ったことなどが書かれていて、外来魚の古い歴史の一端をうかがうことができる。

■04/09/26

司馬遼太郎の「街道をゆく24近江散歩・奈良散歩」から引用。30冊もの英文の書物により日本の仏教思想を海外に広めた鈴木大拙の功績を紹介するにあたり、それと対称的な営為として「仏教は、いわば死語の山である。(改行)日本仏教は、随・唐から宋までの中国人が編みだした特殊な術語によって構成されたままでいる。口語としてだけでなく、文章語としても死語であるにもかかわらず、日本の仏教は、鎌倉仏教においてもそれを改めず、明治後も同様だった」と日本仏教のよき理解者であり紹介者でもある著者はあえて苦言を呈する。鎌倉以来というのもすごいが、それに負けないぐらいの死語の巨塊を100分の1、1000分の1の短時間のうちに築き上げてしまった人達のバーチャルな行為をどう理解すればよいのだろうか。あるいはこれが何10年、何100年と積もり積もっていけば、そこから文化や思想が抽出されるものだろうか。経済的価値以外の何ものかが立ち現れてくるものだろうか。「街道をゆく24」の近江散歩の章には琵琶湖の環境問題に関する記述が豊富にある。全43冊に及ぶ膨大な同シリーズにバスアングラーが手を付ける最初の1冊としてお勧め。

■04/09/08

ちょうどアテネオリンピックが終わろうかというときに読んでた新潮文庫の1冊に出てきた言葉。少し長くなるが前後を引用する。「日本の雑誌や新聞には、よく座談会なるものがのっている。何人かが集まって、あるテーマについて話し合い、それをまとめて記事にするわけである。ところが、外国の新聞や雑誌には、そうした座談会なるものがほとんど見られない。したがって、『座談会』は日本の特産といってよさそうである。(改行)むろん、討論の記録は外国にもある。シンポジウムは古代ギリシャ以来の欧米の伝統になっている。だが、日本のいわゆる『座談会』は。討論とも、シンポジウムとも、趣を異にしている。たいていが意気投合し、そうですね、わたしもそう思います、という形で進行し、反対の意見を述べるにしても、ひかえめに、相手の感情をそこなわないように、賛同しつつ異論を持ち出す、というぐあいである。そして最後に出席者全員がなんとなく妥協して、『では、この辺で。ありがとうございました』という司会者の挨拶で終わる。(改行)そんな次第だから、こうした『座談会』の記事を読んだ外国人は何とも奇妙に思うらしい。白黒をはっきりさせる討論になっておらず、争点はあいまいで、結論もないといった始末だからである。私は何人かの外国人に、日本の雑誌にのっている『座談会』というのは何なのか、と問いつめられたことがある。そういわれると私は返事に窮してしまうのだが、これが日本のシンポジウムの特徴なのだ、と答える以外になかった。たしかに『座談会』というのは、きわめて日本的な合意の過程をよくあらわしているのではなかろうか」 つまり、日本で開かれるシンポジウムとは、どこかで内々に決められたことや現状を追認するための予定調和的なセレモニーでしかない。ならば、そんなシンポジウムでもっとも重要なのは、どういう人達が出席して、どんな討論をしたかということではなくて、誰が何のために開いたかということになる。内容よりも、開催の目的そのものが何よりも大事で、つまり結論は最初から決まっているのだ。

■04/08/20

ご都合主義や商業主義による錯術にまみれた情報ばかり扱っていると、確かに何もかもがインチキに見えてくる。だけど、ハリに掛かって暴れてる魚の手応えは現実のものだし、大森貴洋プロが2004バスマスターズクラシックで優勝したのもまぎれもない事実だ。問題は、情報の中の事実や真実をいかに正確に射抜くかということ。この言葉は、そんな情報を扱っている者への警句でもある。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は、アメリカの若者の生き方に多大な影響を与え、現在でも人気がある小説。主人公がTそのものかどうかは、皆さんの判断におまかせする。

■04/08/18

新人選手獲得をめぐる不祥事で辞任した読売ジャイアンツの渡辺恒雄前オーナーが、8月17日に東京都内のホテルで会食後に報道陣から球界再編の今後についてたずねられ、「オレはオーナーじゃないんだ。読売新聞の主筆だ。きょうは野球の話なんかしていないし、情報もないし、知らんよ」と語った。不祥事について聞かれると「オレのコメントはすでに出しているだろ」。今後の球界とのかかわりについて聞かれると「だれがそんなこと言うか。さっきから(野球の話はしないと)言っているじゃないか」と声を荒らげたとのこと。 asahi.comが8月17日付で伝えた。さんざん好き放題やってきたあげく、立場が悪くなると「知らんよ」って、バスフィッシングの世界にも同じようなことがなかったっけ。老醜はさらしたくないもの。それにしても、ナベツネが読売の主筆だって、みんな知ってた?

■04/08/09

8月15日は終戦の日ではなくて敗戦の日であるという説はよく聞くが、実際に敗戦の日の式典や敗戦の日特集、敗戦の日特別番組なんてのは見たことがない。BOOK MARKETで210円で買って数日前まで読んでた指揮者岩城宏之の文庫本に、この言葉があったので引用してみた。初出は1985年8月発行の雑誌、話の特集。もう少し長く引くと、「何故世の中では『終戦』と言うのか。断乎『敗戦』と言うべきである。『終戦』は、実に日本的ごまかしの典型だ」(「断乎」は原文ママ)「戦争は、四十年前に『終わった』のではない。あれは完全に『負けた』のだ。もちろん負けたから戦争は終わるけれど、無惨な負け方をうまいこととりつくろって、終わったというイメージにごまかした、あの頃の日本のオトナ全部を僕は許したくない」などとある。このときの掲載誌のテーマが「敗戦四十年ごっこ」で、そのことを聞いた著者が最初、テーマを「終戦……」だと思いこんで、編集部にひとこと言ってやろうと電話をかけたエピソードも紹介されている。これぐらいやる出版社や執筆者が多かったら、日本の国はもうちょっと違った方向へ行ってたかもしれない。この国に多い、言うは易し、行うは難しの一つの典型か。「何故世の中では『エリア』と言うのか。断乎『放流釣り場』あるいは『釣り堀』と言うべきである。『エリア』は、実に商業的ごまかしの典型だ」なんてことを言ったら嫌われる。みんな嫌われたくないから、風の吹くままになびいてるってこと。

■04/07/22

2004年7月公開の映画、ディープ・ブルーの紹介記事の中に出てくる鳥類研究者の言葉。この映画のすばらしいシーンの数々を紹介した中に、「鳥たちが海の中(それもけっこう深くまで)へダイブする映像は『CGではないのか? 私の(研究してきた)鳥はこんなには深く潜れないはずだ』と研究者が叫んだほど貴重なものだ」とある。別の映画紹介によると、カジキがエサを食うシーンも記録されてるそうだから、それを観るためだけでも映画館へ行く値打ちはあるかもしれない。アングラーにとっては海猿を越えるこの夏の話題作ではないかと思うんだけど、上映館がとても少なくて簡単に観ることができないのが問題。こういうネイチャー系映画は日本では受けないということか。後でDVDを買う手もあるけど、どうせ観るなら、やっぱり大きなスクリーンで観たいよね。それにしても、実写の映像を前にしながら、「私の鳥はこんなに深くは潜れないはずだ」って恥ずかしげもなく言ってしまう類の研究者って、日本で一番大きな水溜の畔の環境破壊造成地にある某博物館のタコツボの中だけで生息するのがせいぜいかと思ってたら、外国での確認例もあったんだねえ。

■04/07/17

つまり、滋賀県がバスアングラーによる同意のないリリース禁止を正当化するために行ってる学校教育の現場での外来魚駆除教育は、将来の外来魚駆除政策への支持者を増やす目的のためには、非常に理にかなっていて有意義であるということ。だったら、バスアングラーはどうする? 滋賀県の学校では、バスフィッシングが好きな子供が同級生から「害魚を釣ったら殺さないとけない」と言われるようなことが実際に起こっている。これってある種のいじめだし、それを県が奨励してることになるんじゃないのか。そんなことが少しでも起こらないように、滋賀県釣り団体協議会には問題に真剣に取り組んでもらいたい。そのためにはバスアングラーの協力が必須だから、皆さんもご支援をよろしく!!

■04/07/14

勝浦ビルフィッシュトーナメントの表彰式を兼ねたパーティーで、テレビに出てるので有名な関西のシーバスアングラーから言われた言葉。知人かなんだかのボートに乗せてもらって、キャプテンをやらせてもらって、カジキのストライクがあってバラしたらしいんだけど、こういうことを言うのは世界のメジャーフィールドでトローリングの100日もやって、カジキの10本も釣ってからにしてほしい。さぞかしシーバス釣りも簡単で、釣りでお金儲けするのも簡単なんだろうね。ワイルドキャットのキャプテン服部は、日頃からカジキ釣りは簡単だと言ってるけど、少なくとも毎年40〜50日はトローリングをしてるし、自分のボートだけでも、この前1人で釣った170kgのカジキがちょうど10本目だぞ!!(ちょっと自慢)

■04/07/06

7月2日付京都新聞電子版が伝えたところによると、琵琶湖淀川水系で過去最大規模の渇水が発生したときに1.3億トンの水不足が起きるとの試算を基にダム建設が必要と結論付けた滋賀県の提言に、市民団体が「ダム建設を合理化する意図的な試算」とする質問状を送付したことに対し、同日、県は「豊かな自然や生態系は、湖面の水が豊かにたたえられて初めて維持できる。哲学の違いだ」と反論する回答書を送った。

■04/06/26

攻殻機動隊Stand Alone Comprexの1stシーズン最終回で、連続サイバーテロ事件の犯人である笑い男が主人公の草薙素子に犯行動機を説明した言葉。TV、DVDシリーズのStand Alone Comprexは、同じ攻殻機動隊シリーズの最新劇場版であるイノセンスほど意味深なセリフ回しに重きを置いていないが、最終回は一転、たたみかけるようなセリフのやり取りで、このシリーズの真骨頂を見せた。

■04/06/22

80年代ゴジラシリーズ中の傑作といわれる「ゴジラ対ビオランテ」で、ビオランテがバラの花の姿から巨大な口を持った怪獣に変態したときに、ビオランテの創造者である白神博士が言った名セリフ。怪獣は進化する。バスアングラーだって進化している。駆除派、リリース禁止派は進化してるか? まさか大きな口の怪獣に変態したなんてことはないよね。

■04/06/09

引用のルール違反を承知で、出典はあえて書かない。文章による議論をしたいなら、この言葉が載ってる文庫本のシリーズぐらいは一通り読んでからにしてほしい。ヒント……日本語の勉強にもなるよ。

■04/06/04

仕事してる最中に、「釣れたよ」ってわざわざ携帯電話で知らせてくる人がよくいます。これほどイライラすることはありません。「大きいのが釣れた」なんて言われたら、よけいにイライラが募ります。釣りに行ってないときに人に釣られるんだったら、自分も釣りに行って共倒れで釣れない方がよっぽどましです。携帯電話って、釣りには余計な発明ですね。

■04/05/27

出典はノーム・チョムスキー著「金儲けがすべてでいいのか」 言葉の内容を見る限り、現在の民主主義に対する警告とも受け取れる内容だが、チョムスキーの本の中でマディソンは資本家の側に立つ政治家として紹介されている。「公開論争で、マディソンは少数者一般の権利について語ったが、念頭に置いていたのは明らかに特定の少数者だった。『富裕なる少数者』である(同書からの引用)」などのマディソンの思想を理解した上で同じ言葉を読みなおしてみると、彼の言う「民衆の政府」の皮肉な意味がくっきりと浮かび上がってくる。

■04/05/21

誰でも知ってる格言。琵琶湖でコイヘルペスウィルス(KHV)感染が拡大しつつある最中に掲載。河川放流用の琵琶湖産コアユの買い取り見合わせは、はたしてKHVによる風評被害か、あるいは受け入れ側の冷静な判断によるものか。

■04/05/14

本当はガンジーの言葉ではなく、映画「ガンジー」に出てくる名セリフの一つ。リチャード・アッテンボロー監督、ベン・キングスレー主演でアカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞など9部門を受賞した映画「ガンジー」は、対権力闘争に役立つ示唆にあふれている。

■04/03/08

押井守監督のアニメーション映画「イノセンス」のセリフから引用。出典は明治の作家で批評家の斎藤緑雨によるアフォリズム(警句)集「半文銭(1902年)」 この言葉をBassingかわら版のトップページに掲載したタイミングが、ちょうど新聞やテレビで鳥インフルエンザのことが話題になっていたときで、けっこうな反響を呼んだ。琵琶湖で大規模なコイヘルペスウィルス感染が発覚するのは、この後のこと。

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