Presented by B.B.C./Biwako Bass Communications

Editorial
Vol.82(08/06/04)

烏丸半島今昔

 今から25年ほど前、琵琶湖でバスが釣れ始めたばかりの頃に、カートッパーを出せる場所を探して湖岸を走り回ったことがある。5万分の1地図を見ながら南湖は湖岸に近付けそうなありとあらゆる所、北湖は水泳場や河口、港の周辺などの要所々々を細大もらさずチェックして回って、地図のボートを出せた所に印を付けていった。


 その地図に大きな空白エリアができた。それは南湖東岸の木浜埋立地と矢橋人工島にはさまれた一帯。反対側の西岸はボートを出せるスポットがあちこちにあるのに、東岸はボートを出すどころか水際に近付くことさえできない荒れ地の湖岸が延々と続いていた。


 その南湖東岸がどのような変貌を遂げたかは、いまさら説明するまでもないだろう。下の航空写真は昭和59年に撮影された烏丸半島とその周辺。ちょうど筆者が琵琶湖岸を走り回っていた頃だが、烏丸半島へ行ってみようとしたけど、進入路がわからなかったか、工事中で止められたかで、どうしても行けなかったのを覚えている。写真に写ってる池は養殖池で、ここでテラピアが試験的に養殖された。南側の湖岸一帯では、すでに何やら大規模な工事が始まっているらしいことがわかる。これが今からたった25年ほど前のこと。それと時をほぼ同じくして、南湖東岸の様子はタイムマシーンで遅れた時間を取り戻すがごとく急激にかわっていく。


 滋賀県は烏丸半島の遊休地に民間資金による大規模リゾートを誘致する開発計画を断念。6月3日の定例会見で知事みずから発表した京都新聞電子版08/06/03、関連記事は同08/06/02。烏丸半島は南湖を浚渫した土砂を積み上げて造成され、周囲をコンクリートと捨て石の護岸と岸壁で固め、琵琶湖博物館と水生植物公園が造られたが、それ以外の空き地を民間資金でリゾート開発させて、その収益で造成資金を回収しようというおいしい計画はこれでおじゃんになった。今後は10億円を超える債務処理が問題となる。


 つまり、一大開発計画をぶち上げて造成はしたけど、営業がうまくいかなくて赤字の博物館と植物公園(風車のおまけ付き)だけが残ったという、いまどきめずらしくもなんともないお話。これってお役所仕事の典型的な結末だよね。その後始末がこれから始まるのか、まだ当分ほったらかしで借金の利子が積み重なっていくのかはわからないけど、だったらこういうのはどうだろう? 博物館と公園は残して、それ以外の空き地と湖岸の大部分をすべて元の自然の状態に戻す。その工事で出た土砂は、南湖の穴ぼこを埋め戻すのに使う。そうすれば琵琶湖のお魚達には喜ばれるし、工事業者も大歓迎だろうし、何よりもやってることが滋賀県らしいし、おまけに博物館の存在意義が誰の目にも際立って後生の教訓になると思うんだけどね。

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